飲むことは、受け入れること ─ 優しい時間を抽出する「オトナリ珈琲」しば田ゆきさん


 ヒューマンインタビュー第6回は、しば田ゆきさん。



しば田ゆき。


オーストラリアでのカフェの体験から、バリスタになることを志す。2019年まで駒込百塔珈琲でShimofuriで勤務。2014年から、「飲むことは受け入れること」という持論で活動「デクノボー喫茶」を開始。出張珈琲イベントや、ワークショップ、珈琲牛乳フェス、展示「あの時の珈琲展」(2018)「あの時の珈琲展yanaka」(2018)など。2020年、珈琲豆の販売サイト「オトナリ珈琲」を立ち上げる。




 駒込カルチャーを牽引してきた百塔珈琲Shimofuri。その店長でらした、しば田ゆきさんは「こまごめ通信」の発起人でもらっしゃいます。しば田さんは現在、「オトナリ珈琲」という新しいプロジェクトを立ち上げられたばかり。様々なお店の豆や、コーヒーレクチャーのインスタライブなどを通じて、新たな形で「珈琲のある時間」の魅力を伝えようとしておいでです。



「やりたいことが珈琲だな、って明確になったのは、2008年のことでした。当時はワーキングホリデーでオーストラリアに行って、シドニーとメルボルンに暮らしていたんです。実はメルボルンって、南半球の中でも一番カフェが多いんです。シドニーもそうでしたが、メルボルンではみんなが当たり前のように1日に何回もお気に入りのカフェに行く文化があり、そこに見られる人間味を魅力的だと思いました。いつものカフェで『おはよう』や『こんにちは』を言い合ったり、『あの人が僕のお気に入りのバリスタなんだ』とか、『あの人が淹れてくれないと、私は飲まない』とか、そういうのがすごくはっきりしていて。イタリアのバール文化にも通じますが、〈日常の通り道〉って感じで、それが街に溢れているのが、すごくいいなって思いましたね。そういう空間を自分でも作りたいって思いました。


 シドニーでは語学学校にも通っていたのですが、そこでは極力日本人の友達を作らないようにしていました。でも、そうやって過ごしていく中で、自分が何者でもなく、必要とされていないという、アイデンティティを消失したような状態が辛くなってしまった時期がありました」




「そんな時に、いつものカフェに行ったら、小太りで陽気な感じのいつものおじさんが、『カプチーノ、ワンシュガー?』って、にこってしながら尋ねてくれたんです。


 〈カプチーノにお砂糖1杯〉って、私のいつものメニューだったんですけど、それを覚えていてくれたことがすごく嬉しくて。


 何者でもないという乾いたような孤独感をずっと抱えていたけれど、そのひと言で自分の居場所を認められたような気がしました。ここにいていいんだなっていう、アイデンティティを見つけられて、それにすごく救われたんです。彼にとっては何でもないことで、いつものことなんだろうけど、その普通のことだけで、こんなに救われることがあるんだなって。すごく、大きな経験でした」





1/1杯の珈琲 ─ オトナリ珈琲へ


 この時のしば田さんの経験から生まれた想いは、noteの記事「手の届く範囲に必ずあるもの」に記されています。



 この記事から、文章の一部を引用します。




飲むことは受け入れることです。


身体になにかを入れる、入れさせることは、料理人やってる人のできる大きな価値だと思っています。


嫌いな人と食べるご飯に味がしないことは、もっと世界を作ることと密接に関わっている。


わたしはいつも1/100杯でなく、1/1杯のコーヒーを入れたいと思っています。




(「手の届く範囲に必ずあるもの(しば田ゆき)」より)




「飲むことは受け入れること」というしば田さんの考えは、「食べることは受け入れることだ」という記事にも記されています。



 受け手が受け入れてくれるという無条件の信頼感に対して、淡々と、でも真摯に応えていくのみというしば田さんの姿勢は、しば田さんが新しく立ち上げられた「オトナリ珈琲」というプロジェクトにも受け継がれています。




「いまやっているオトナリ珈琲でも、考えていることを出していこうと思っています。オトナリ珈琲は、〈焙煎〉にスポットを当てたプロジェクト。私が信頼置けるお店の焙煎士さんにお願いして、取り寄せた豆を販売していくスタイルです。このビジネスモデルは、8年ほど前から頭の中にはあったんですが、あまり面白くないし、めんどくさいのとで、誰かそのうちにやるだろうと静観していたんです。でも、何年経っても誰もやらない。利益の薄いスタイルだからだとは思うんですが。なら、やるかって決めたんです。


 珈琲やってると、生の豆・焙煎・抽出って段階があって、取り扱っていて一番利益が出やすいのが生の豆に加工を加えた段階なんです。そして、最近はサードウェーブの影響もあって、流行りが浅煎りのターンに入っているから、みんな生の豆や生産者にフォーカスする方に行きがちなんです。確かに、スペシャルティコーヒーが市民権を得て、産地での豆の品質はすごく上がりましたね。そして、豆の物語を伝える人たちもすごく増えてきました」




「でも、それを伝えるだけでいいのか?って思うんです。もっと加工側で出来る別のクリエイションがあるのではないかと、考え続けているんです。長いこと勉強し続けてる人や、人生かけて珈琲に取り組んでいるような人の歴史を見てきたから、産地から受け取った作物を、じゃあこちらでどう良くしているかというのを伝えてみたいと思ったんです。


 珈琲は、人によって味が変わります。お店の雰囲気でも、もちろん変わります。だから、ひとつのお店にとらわれず、『このお客さんに合っているのは、このお店のこの豆』って薦められるようになりたいって、ずっと思っていたんです。喩えるなら、珈琲の酒屋さん。酒屋さんも、酒蔵との信頼関係があってはじめて、扱えるお酒が決まってきます。今はまだ限られているけれど、『私になら預けてもいいよ』という珈琲豆屋さんとのご縁を大事にして、それをお客さんにベストの状態で届けるってことをやっていきたいです」



 しば田さんは、珈琲が抽出されていくように、言葉を選びながら丁寧にゆっくりと語りました。




かけがえのない〈ホスピタリティ〉と共に



 「珈琲のある時間」と共に過ごしてきたしば田さんの歩みの中で、大事な期間があります。それは、長野県松本市のタリーズで働いていた時。オーストラリアから帰ってきて、実際に珈琲の仕事をする中で、しば田さんは自分だけのかけがえのない「ホスピタリティ」を育んでいきました。



「大学時代に住んでいた街、松本の駅前のタリーズは、すごくいいお店でした。大好きなお店です。松本って文化人も多くて、歴史と個性のある喫茶店も多いんです。そんな中で、周りの喫茶店に負けない雰囲気を持っていたお店でした。


 オーストラリアから帰ってきて、バイトをやるなら好きなことをやろうって決めたんです。そして、タリーズでバイトが出来ないかと問い合わせました。けれど最初、学生はダメと言われてしまって。でも、絶対諦めたくなくて、履歴書を持って突撃したんです。面接だけでも受けさせてもらえませんか?って。そして、働かせてもらえるようになりました。思い返してみると働いている人たちは若い人たちばかりでしたが、みんなとても大人びていましたね。


 このお店で、私は〈ホスピタリティ〉を学びました。ホスピタリティはお客さんに対してのものだけではなく、働いている人たち同士にも当てはまります。印象的だったのが、あるお客さんが怒っていた時に、当時の店長が双方の話を聞いて、お客さんが間違っていることが分かったら、毅然とした対応をしていた場面。店長は様々な経験を積んできた人で、たくさんのことを考えてきたのがよく分かる、話しやすい大人でした。今でも忘れられない、大好きな人たちがいた大好きなお店です」





 数年後、しば田さんは駒込の霜降銀座商店街の中に新しく出来た、百塔珈琲Shimofuriの店長となります。


「本当は、編集か珈琲の仕事で迷ったんです。でも、いろいろ調べているうちに、『編集はいずれもっと身近になって、自分の出来ることも増えてくるはず』と考えるようになりました。実際に、〈ブックトープ松本〉といって、松本市を舞台にした短編小説集を、街の人たちと一緒に作るとか、〈こまごめ通信〉という未来に繋がっているので、やりたかったようにはできているなと思います。


 カフェの仕事をしたかったのですが、実際に始められるまでは紆余曲折ありました。本当は松本でカフェを開きたいという夢があったんです。けれど、流れに添っている中で、百塔珈琲と出会って。百塔珈琲って、すごく個性のあるお店なんですが、オーナーも話が合いそうと感じたし、味もすごく美味しかったんです。そして、ご縁あって本店で雇ってもらえるようになって。そのうちに、新しく出来る百塔珈琲Shimofuriの話が持ち上がったんです。エスプレッソもやらせてもらえるということだったので、是非やらせてください!ってお願いしたんです。エスプレッソを誰かに習うのではなく、自分で習得していきたいという目標が叶えられるかもしれないと、すごくわくわくしたことを覚えています」



 そして始まった、百塔珈琲Shimofuriでの日々。様々な方々との出会いも広がりました。



「こまごめ通信のアイディアも、このお店で生まれました。きっかけは、お店で面白い人たちにたくさん会ってきたこと。この街には、こんなに面白い人たちがいるのに、みんなが知らないのはもったいない、紹介していきたいって思ったんです。


 そんなアイディアを、イラストレーター/マンガ家の織田博子さん達が一緒に形にしてくれました。なにげないこと、小さなことを、面白がっていくことが大事だって、いつも感じていて。そうしたささやかなことを、誰かがきちんと面白がっていくことで、少しずつ色々なことが盛り上がっていくんだと思います。


 百塔珈琲Shimofuriでは、ライブやピロシキの会など、様々なイベントを開催しました。また、私自身が銭湯好きなところから、個人的にご縁が繋がって、駒込の殿上湯さんでの〈珈琲牛乳フェス〉にも繋がりました。すべては、人ありきで動いています」



 そしてしば田さんは、はにかむように微笑みました。




普通のことを、普通に


 ご自身の内側、そして周りの方々の内側にある豊かさを見出していく、静かな強さを持ったしば田さん。その世界に共感し、惹かれる方々は多くいらっしゃいます。それは、しば田さんご自身が〈人〉を大事にしている姿勢が、にじみ出るように伝わるからかもしれません。


 しば田さんのそうした姿勢が表れた活動として、「デクノボー喫茶」があります。宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」の中にも書かれ、賢治自身もそう在りたいと願った「デクノボー」。その言葉を冠した「デクノボー喫茶」では、「茶を喫(の)むこと」をデザインした活動を続けています。珈琲と〈あなたの何か〉との等価交換や、「忘れられない珈琲」の話を集めた場で珈琲を提供したり……それは、しば田さんによる「珈琲のある時間」の編集であり、「場」の再構築ともいえるでしょう。その繊細な感性で編集された時間と場には、多くの人が憩いを感じています。



 デクノボー喫茶について書かれたしば田さんのnoteからご紹介します。




世界は気づくと流れるように過ぎていって、自分はその中の引っかかることにいちいち立ち止まってしまう。誰かの流れゆく日常に、小さな小石を投げるような意識で活動をしている。


というようなことを書くと我ながら「なんだ偉そうに」とも思うけど、なにか具体的なことを言いたいかと言われるとそういうことでもなく。「普通だよね」という透明な枠のあるところからそれを溶かしていきたいと思いながら自分は普通の人間らしきものを模倣して生きている。(木を隠すには森の中精神)


コーヒーを選んだ理由はかなり意識的で、裾野が広いからです。「コーヒーやってる」というと何かしらの会話が生まれるし、みんなの思う「カフェの女性」をイメージしてもらいながら、しめしめと変わったことを続けていきたい。




(しば田ゆき「デクノボー喫茶」より)






「さっきもお話しましたが、本当に人ありき、なんですよね。自分にとっての忘れられない珈琲は、シドニーのカフェのおじさんのカプチーノですが、彼は何も特別な気持ちでその一杯を淹れたわけではないと思うんです。普通のことを、普通にやっただけ。それでも当時の私は、その普通のことで救われました。そういう普通のことを、ずっと続けていきたいです。


 これから10年先のビジョンですか? あまり先の未来のことは、確定しないようにしているんです。よくビジネス書とか読むと、『目標達成から逆算して、現在を積み重ねていきましょう』とか書いてあるけど、それがどうも苦手で。けれど、矛盾するように感じられるかもしれませんが、様々なことを論理的に考えて、理論を構築しながら行動しているので、1年単位くらいでの短い目標は常に考えています。オトナリ珈琲については、3年くらいの間に知られるようになればいいな、と構想を練って、行動を続けています。臨機応変に対応出来る余裕を持って、先のことは、先になった時に最善の策を考えていきたいと考えています。


 何かとの出会いに対して、いつでも舵を切れるようにしておきたいんです。これまでも、全てがそう。こまごめ通信も、殿上湯でのイベントも、その他のものも、みんなご縁あってのものです。自分がこうするぞ!って決めて動くよりも、状況に応じて柔軟に動ける余裕を常に持っていたいです。人との出会いや、天候や……。そうですね、『雨ニモマケズ』のように、これからも普通のことを続けていきたいです」



 しば田さんは、透明な眼差しで、ゆっくりと、丁寧に語りました。まるで、珈琲が一滴、一滴、ゆっくりと抽出されていくように。




しば田さんの、これからのますますのご活躍を心よりお祈りしております!!





(文:藤野沙優)




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