街全体が、わたしの家 ─ 駒込の暮らしに溶け込む銭湯、殿上湯/原育世さん
ヒューマンインタビュー第5回は、殿上湯(でんじょうゆ)の原育世さん。
駒込から徒歩9分、北区西ヶ原の銭湯・殿上湯。一見すると住宅街の中に佇む、古きよき伝統を受け継いだスタイルの銭湯です。けれど、この殿上湯は「普通の銭湯」ではありません。風呂場の中にグランドピアノを運び込んでのクラシックのピアノコンサートや、風呂場の中に櫓を組んで鼓童のライブ「風呂ドン!」など、様々な音楽イベントを開催してきました。また、気持ちのいい中庭を開放して、様々なカフェの出店のもとに「珈琲牛乳フェス」や、殿上湯全体をギャラリーとして写真展を開催したりするなど、様々な新しい企画を次から次へと成功に導いています。
実は筆者は銭湯が大好き。引っ越す前に駒込のことを調べていて、街の中に素敵な銭湯があると知って、心躍らせながらこの街にやってきました。そして、先日インタビューさせていただいたイラストレーター/マンガ家・織田博子さんが主催となって開かれた、オンラインの「こまごめ会議」で育世さんとご縁が繋がり、zoomでインタビューさせていただく運びとなりました。
北区西ヶ原、殿上湯入口。営業時間は16〜23時、金曜が定休日です。
「以前からTwitterを見ていただいていたんですね。地元の方に見ていただいているって、何だか新鮮で嬉しいです。
子供の頃は足立区の梅島で育ちました。うちが自営業で、お店をやっていたのですが、商店街の中でも『あそこのお店のいくよちゃん』って可愛がってもらいながら育ちました。子供の頃から、よく銭湯に通っていましたね。運動会の後や、お友達のお家でのお泊まり会の時には、必ずと言っていいほど行ってました。お友達と待合せして、銭湯に行ったりもしていましたね。大人と話したり、マナーを自然に身につけられるっていう銭湯に通っていたことで、知らず知らずのうちに社会勉強になっていたんだなって思います。
その後、高校2年生の時に1年間アメリカのカリフォルニアに留学しました。その時に、ひとりでは言葉も通じず、何も出来ない無力感を感じて……。そこがターニングポイントとなって、角が丸くなり、人により深く興味を持つようになりました。進路の決定にも影響を与えましたね。そして、大学では間接的コミュニケーションについて学び、様々な経験を経て、現在は宣伝や広報に関係する仕事を続けています。
そんな中で、主人と出会いました。仕事の関係で最初に出会った時から、出会い直すまでには歳月がかかりましたが、そこからはスムーズに、流れに添って進んでいきました。この殿上湯は、主人で5代目。主人は一時は畳むことを考えていたのですが、『こんな素敵な銭湯を畳むなんて、もったいない!』って私が思ったんです。そこで主人によくよく話を聞いてみると、『本当はやりたいけれど、今の時代では出来ない』という気持ちが伝わってきました。それなら、私も一緒にやるよ!って、決めたんです」
殿上湯の再出発
そこから、育世さんの活躍が始まります。まずは積極的にSNSやWebサイトの整備などを進めていきました。今も育世さんは、Twitterの人気アカウント「殿上湯の嫁(@denjyoyu_yome)」として、様々な情報を発信し続けています。
「私はもともと、外部から来た人間で普段も外で仕事をしています。だから、外から見た殿上湯の魅力というのを発信し続けていったんです。集客など目に見える成果に繋がっていくまでは1年ほどはかかりました。そうするうちに、取材が舞い込んでくるようになって……そうするうちに主人も、メディアに出たりしていくことに対して前向きになっていきました」
殿上湯5代目オーナー・原延幸さんのインタビュー(2019年、東洋経済オンライン)
殿上湯5代目オーナー・原延幸さんのインタビュー(2016年、Tokyo Map TV)
「主人はジャンルを問わず様々なことをよく勉強していて、自分の意見もしっかりと持っている人。殿上湯の運営にあたっても、『他の銭湯がやっていないことにトライしていきたい』という明確なビジョンがあります」
2018年8月 銭湯のピアニスト
2019年2月 鼓童公演「風呂ドン!」
「ご縁があって、ピアノコンサートや鼓童さんのライブの企画が持ち込まれて、数々の音楽企画が実現するようにもなりました。先日も、とあるボーカルグループの方々が収録にいらしたのですが、音響の方が『計算されて作られたわけではないのに、天井の高さや空間の広がり、そして使われている木材とのバランスもあって、響きが完璧です』と驚いてました。お義母さんが琴をやっているので、琴の演奏会を開いたこともあるんですよ。家族のみんなが音楽を大好きなので、音楽イベントは喜んで実施しています」
2019年6月 珈琲牛乳フェス
「また日曜日の朝8〜12時の朝湯や、〈朝湯カフェ〉も定期的に開催するようになりました。去年の夏には、百塔珈琲Shimofuriの店長でらした、しば田ゆきさんをはじめ、様々な方のご協力のもとに〈珈琲牛乳フェス〉を、中庭で開催しました。他にも、使っていない部屋を民泊として利用してもらったりも。畳でのびのびくつろげる環境が、外国の方に人気なんです」
YouTube「殿上湯の日常 #1 朝のラジオ体操」
4代目オーナーと住み込みの皆さんの、モーニングルーティンの様子です。
Youtube「殿上湯の日常 #2 ある日のお昼ご飯。」
愛娘あーちゃんが、大好きな焼きおにぎりをもぐもぐ。
「あと、住み込みの子が見に行った展示がきっかけで、日本大学芸術学部写真学科の学生さんのユニット〈スーパー銭湯さしすせそ〉との縁も繋がったんです。2019年1月と2020年2月に、殿上湯で彼女達の写真展を開くことになりました。地域の方々も、とても喜んでくれましたね。住み込みの子は他にもいて、Instagramの投稿もしてくれたり、YouTubeチャンネルを開設して独自の視点で殿上湯の魅力を発信してくれたりしています。いろいろな方とのご縁に助けられていますね」
筆者も、本年2月の〈スーパー銭湯さしすせそ写真展「2020おめで湯」〉の開催中に、何度か殿上湯さんに訪れました。入り口、脱衣所、そしてお風呂の中にも飾られた多くの作品。日常の暮らしとアートが交差している空間の不思議を感じながら、のんびりと湯船につかって、作品を心ゆくまで眺めていたことを思い出します。
殿上湯の魅力
殿上湯の魅力のひとつは、昔ながらの日常と、ハイセンスなアートがごく自然に混ざり合って、共存しているところにあるのかもしれません。一見すると、住宅街の中にある懐かしさを覚える銭湯。けれど、よくよく見てみると、スカルが描かれたメタル調のオリジナルTシャツが飾られていたり、ピアノコンサートの時にデザインされたオリジナルのうちわが置かれていたりと、絶妙なバランスでアートの要素がさり気なく散りばめられています。暮らしの中から生まれた文化が、「銭湯」という人の交流の場の中で、確かに息づいているのを感じます。
殿上湯オリジナルデザインのTシャツ。上から「association」、「いい湯だな」、「屍の湯」。いずれも、オンラインショップで購入可能です。
「オリジナルTシャツやステッカーは、主人の旧友がデザインしてくれました。シルクスクリーンで、ひとつひとつ大事に印刷しています。実は、主人はストリートカルチャーど真ん中の世代。デザインもメッセージ性の強いものが多いですが、いろいろな方が気に入ってくださっています。
お風呂のお水は、地下135mから汲み上げる地下水を使っています。駒込一帯は、すごく地下水の質がいいんですよ。その中でも、飲料水にも出来る水質というのは、本当にラッキーなことだなって思います。私はそこまでお水に敏感な方ではなかったのですが、毎日殿上湯のお湯につかっているうちに、違いが自分の肌で分かってきました。主人をはじめ、殿上湯家のメンバーはみんな美肌です。
銭湯に嫁いだというと『え?』と驚かれたり、大変じゃない?とか言われるんですが、全くそんなことなく、今は10人(!)の大家族で過ごせるのは楽しいです。毎日合宿みたいですよ。私も実家が自営業だったので、店の裏に従業員のおじさんが住んでいたり、家にいろんな人が出入りしてたこともあって慣れているのかもしれないです。この時代、特殊な環境と言えば特殊なので、そういう意味でもいまだに、義父にでさえ『よくこんなとこ嫁に来たね(笑)』と言われてます。でも、私のことよく知ってる人は、殿上湯の家族に会うと、『本当、いくにピッタリのとこに嫁いだよね…!』としみじみ言ってくれたりします。
もともと私はせっかちで、周りを気にして焦ったりすることもありました。でも、殿上湯の家族はみんなおおらか。この場所で生きてきたご縁を大事にしていて、ご縁に身を委ねるという感じです。無理しないで流れに委ねていると、アイディアがふっと湧いたり、助けてくれる人も現れてくれる。それを、ごく自然に受け入れているんです。そうした在り方が、すごくいいなって思っています」
育世さんは、はにかむように笑いました。おそらくはきっと、殿上湯の皆さんと育世さんとの出会いもまた、そうしたご縁に導かれたものだったのでしょう。そして、地下水のように柔らかな強さを持つ育世さんの存在が、暮らしとアートを優しく包み込む殿上湯の空間の中で、大きな役割を担っていることを感じました。
新たな可能性へ
現在はコロナ禍の中、多くの業種が新たな活路を模索しています。殿上湯さんもまた、新たな可能性を開拓しています。
「民泊で貸し出していた部屋は、3〜4年の間ずっと満室が続いていましたが、コロナの影響で予約がゼロになりました。これからしばらくは、海外旅行も難しくなると見込んでいます。だから視点を切り替えて、国内の人がふっと気を緩められるような宿泊場所であったり、レンタルオフィスのような日中貸しとしての提供を考えています。
あと、今、バースペースを新設中なんです。6月頭のオープンを目指しています。お風呂に入らなくても、ちょっと一杯寄っていこうか、っていう場になっていったらいいなって思います。ビアガーデンも開けたらいいですね。
それと、女湯にキッズスペースを作っています。これも6月頭にオープン予定です。これまで、『子供連れで銭湯に行って、怒られたりしませんか?』とか、『おむつが取れていないから、まだダメですか?』って尋ねられたりしたこともありましたが、そんなことは全然ありませんよ!!どんどんいらしてください!!
私自身も、娘が新生児の頃からずっと、常連さんにお世話になりながら、うちのお風呂に入れてきました。ちょっとした時にだっこしてもらえたり、『おばあちゃんが見てるから、お母さん、ゆっくり入って』って言ってもらえたり、そんな交流も自然と生まれてくるのも、肌で感じてきました。銭湯でいろんな大人の方と出会った自分の子供時代の思い出もあるので、子供が集まってくる銭湯になったらいいなって、ずっと思っています。銭湯が子供たちの第二の家みたいになったらいいな……って。子供用のおもちゃ貸し出しや、子ども貸切風呂などの企画もやっていく予定ですので、ぜひご家族皆さんでおいでください」
「今は電車に乗ることも、繁華街に行くことも制限された暮らしの中にいます。そういう時だからこそ、住む場所の半径何キロメートルとか、自分の生活圏がより大事になってくると思うんです。だから、皆さんの日々がちょっとでも豊かになるような、小さなサービスやイベントは積極的にやっていきたいですね。
駒込は霜降銀座商店街が元気で、他に面白いギャラリーもあったりします。また、近場の田端にはミニシアターがあったり、上中里には寄席もあります。少し足を伸ばすと、谷根千もあります。まだまだ、住んでいる方でも気付かないような魅力がたくさんあると思いますので、地域の楽しみ方のひとつの提案として、殿上湯に大きな地図を作っていけたらいいですね。また、実はいろんな人が住んでいるんだなってことも分かってきました。そうした様々な才能を活かす場を作っていきたいという気持ちもあります。これを読んだ街の人が、いろんなアイデアを持ち込んできてくれたら嬉しいです!
私が駒込に引っ越してくる前に暮らしていた街では、住んでいる街にどんな人がいるのか、自分でもよく分かっていませんでした。家から出て街を歩いても、自分の居場所だとか、ホーム感みたいなものは感じることが出来ませんでした。もちろん、自分の家は家で居場所なんですが、そこには住んでいるだけという感覚。街は、家がある場所というだけでした。でも、今はそうではありません。『街全体が家』っていう感覚を徐々に持てるようになってきた気がします。
……とはいえ、実は人見知りで、商店街でお客さんにお会いしても、気がついていないのかな?って思うと、声をかけそびれてしまうこともしばしばあります(笑)。もし、街の中で見かけたら、どうか気軽に声をかけてくださいね」
そして、育世さんは花のようにたおやかに、柔らかく微笑みました。育世さんの目を通して世界を見ると、何気ない暮らしの中にも日々新たな楽しみが生まれていくことが伝わってきます。そして、街全体が自分の家──〈ハウス〉ではなく、〈ホーム〉であるという確かな肌感覚は、これからの未来が示すひとつの理想になっていくのだろうと予感しました。
育世さんのますますのご活躍、そして殿上湯さんのますますのご発展を、心よりお祈りしております!
〈DATE〉
殿上湯(でんじょうゆ)
東京都北区西ヶ原1-20-12
03-3910-6426
Twitter:@denjyoyu_yome
Instagram:@denjyoyu
◎入浴料
大人 470円
中学生 300円
小学生 180円
小学生未満 60円(親同伴無料)
◎営業時間
16:00~23:00
日曜 朝湯 8:00〜12:00
金曜定休日
(文:藤野沙優)
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