劇場が、私の愛する居場所 ── メゾソプラノ歌手・郷家暁子さん
ヒューマンインタビュー第16回は、メゾソプラノ歌手の郷家暁子さん。
郷家暁子(ごうけ あきこ) メゾソプラノ
東京藝術大学、同大学院修士課程オペラ専攻修了。学部卒業時に同声会賞、アカンサス音楽賞受賞。二期会研修所マスタークラス修了時、優秀賞及び奨励賞を受賞。 第53回全日本学生音楽コンクール高校の部東京大会第2位入賞。丹波の森国際音楽祭シューベルトの歌コンクール最優秀賞。 「セヴィリアの理髪師」ロジーナ、「ナクソス島のアリアドネ」作曲家、 「カルメン」カルメンなどをレパートリーとし、日生劇場「ヘンゼルと グレーテル」ヘンゼル、二期会オペラ「こうもり」オルロフスキーなどで出演。 ソリストとしては第九をはじめ、モーツァルト「レクイエム」、ヘンデル「メサイア」、メンデルスゾーン「エリア」、ヴェルディ「レクイエム」などで大阪フィルハーモニー交響楽団、読売日本交響楽団などと共演。
二期会会員
ニッセイオペラ2019 フンパーディンク作曲『ヘンゼルとグレーテル』ヘンゼル役をはじめ、国内の主要なオペラ公演に欠かせない存在となってきた郷家さん。先日の二期会オペラ劇場 ベルク作曲『ルル』での学生役の瑞々しい歌唱と演技も記憶に新しいですね。この11月には、二期会オペラ劇場 ヨハン・シュトラウス2世作曲『こうもり』で、念願のオルロフスキー役を演じます。
10月の晴れた午後、稽古を控えた郷家さんに、学生時代の思い出の地でもある上野公園でお話を伺いました。
コロナ下のトンネルを抜けて
「今回の『こうもり』は、4年前のプロダクションの再演。だから比較的、準備期間はタイトなのですが、いまは公演が楽しみで仕方がありません。
オルロフスキーはずっと憧れの役でした。今回はドイツ語での歌唱ということもあり、特別な心持ちで臨んでいますね。アンドレアス・ホモキさんの演出では、女性としての自分の存在感を大事にしたままに、舞台の上に自然体でいられそうなところにも大きな魅力を感じています。
ここ近年、ドイツオペラとのご縁がとても深まっています。日生劇場での『ヘンゼルとグレーテル』もそうですし、先日の『ルル』でも存在感のある役をいただきました。また12月には「わ」の会で、ワーグナー作曲『トリスタンとイゾルデ』のブランゲーネを歌う機会も……本当にありがたいことだと感謝しています。日程的にはすこし立て込んでいますが、うまく管理して、健康第一で乗り切っていきたいです」
落ち着いた微笑みを浮かべ、ゆっくりと語る郷家さん。今は舞台と共に生きる日常が戻ってきましたが、昨年のコロナクライシスのただ中には苦しい想いを抱えていたと打ち明けました。
「2020年2月に、いわゆるコロナ禍が始まりましたよね。その直前に『リゴレット』の公演があったのですが、そこからまったく先が見えなくなってしまいました。はじめは数ヶ月で収まるだろうと楽観視していたのですが、どうもそうはいかなさそうだと分かってきて……。その期間に、今後のキャリアに関わるような大きな本番もいくつか消えていきました。
今年の東京・春・音楽祭では、ワーグナー作曲『パルジファル』で花の乙女として出演予定でした。学生時代を過ごした上野の東京文化会館で歌うというのは、自分にとって非常に誇りであり、いつもより思い入れも深く準備していました。だから、公演がなくなった時には大きな喪失感に見舞われましたね……。
それでも気持ちを明るく保とうと、時間をかけて歌曲のレパートリーを増やす計画を立てようと前向きに努めたり。けれど、いつまで待っても変わらない状況の中では落ち込む日々も長く、気持ちに波もありました」
「そんな中、心の支えになっていたのが『ルル』でした。『ルル』の稽古が比較的早い時期から始まったことで、気持ちが浮上して、自分を立て直していくことができました。生きていると山も谷もあるけれど、谷の底から上がってくるきっかけというのは、人生の中で必ず用意されているんだな……と、改めて思い知りました。
『ルル』は音楽面のみならず、心理表現においても非常に難しい作品ですが、とてもいいチームで公演に臨むことが出来たことに感謝しています。関わってくださった皆さんが大好きですね、本当に。
演出家のカロリーネとは、まず最初に台詞としてテクストの読み合わせをしました。時代背景もあり、全てをストレートに伝えることが出来なかったため、ルルのテクストにはさまざまなダブルミーニングのメッセージが隠れています。それらを丁寧に読み解きながら、演者の自主性を尊重してくれるカロリーネとは、とても素晴らしい信頼関係を構築することが出来ました。
また、指揮のマキシムは稽古が始まるまでの隔離期間に、キャスト全員の顔と名前を覚えてきてくれたんです。マキシムもやはり、それぞれのアプローチを尊重してくれる指揮者ですね。『金閣寺』でもご一緒させていただきましたが、彼の音楽作りがとても好きだな……という思いを新たにしました。
カロリーネとも、マキシムとも、キャスト全員が友情で結ばれていたことを、懐かしく思い返します。ひとりひとりが友情で結ばれていたからこそ、あれだけの作品を妥協なく表現出来たのだと思います」
宝塚から東京藝術大学、そして東京文化会館へ
ロッシーニ作曲『セヴィリアの理髪師』ロジーナ役を演じて
キャリアの初期は、宝塚の舞台に立つことを考えていたという郷家さん。現在もクラシックバレエのレッスンに週2回通うなど、身体表現に向ける意識も非常に高いのが魅力のひとつです。
「祖母の代から宝塚が好きな家系でした。そのため『女の子が生まれたら宝塚に』という期待があったんですね。その期待を背負い、自分もいつかあの舞台に立ちたいという夢を抱きながら育ちました。中学1年生の頃から受験スクールに通い、中学3年生・高校1年生と受験しましたが、男役にしては背が届かなかったため残念ながら不合格。そして、次の進路を考え始めました。
当時は宝塚ご出身の三ッ谷直生さんに声楽を師事していたのですが、三ッ矢さんが東京藝術大学に通い始められたこともあって、東京藝術大学が現実的な進路として浮かび上がってきました。そこからダッシュで受験勉強を始めて、現役で合格することが出来ました。後に師匠となる平野忠彦先生にも、受験前にレッスンをみていただいたのですが、そこで平野先生が『お前、いい教え方をしてきたな』と三ッ矢さんにおっしゃってくださったことが、今でも忘れられません」
東京藝術大学の入学式で、お母様とご一緒に
晴れて東京藝術大学の門をくぐった郷家さん。そこでオペラの魅力に目覚めていきます。
「最初はオペラには向かないと思っていたんです。自分はセンシティブで内向的な面もあるので、感情を表現するオペラは向いていないと思って、歌曲やオラトリオの勉強ばかりしていました。けれど幸いなことに、学年が上がるにつれて実技面での評価も高くいただけるようになってきたので、『もしかしたら音楽を仕事に出来るかもしれない』と考え始めました。
そして大学院の修士課程にも現役で合格することが出来ました。ただその時には、やはり歌曲やオラトリオの勉強をしたかったので、独唱科に行こうと考えていました。けれど師匠の平野忠彦先生は『お前はオペラ科が向いている』とおっしゃられて。『オペラ科は向かないと思います』と反対したのですが、平野先生の強い薦めのもとに適性試験を受けることになり、その後合格通知をいただきました。
いま思い返してみると、師匠のご判断には感謝しています。あの時に強く薦めてくださったからこそ、現在オペラ歌手としての自分でいられるのだと。今になって、師匠の真意に気付くことって多いんです。私は自分自身を優れた素質のある人間とはどうしても思えなかったけれど、師匠は私以上に私を評価してくださっていました。もうお亡くなりになってしまった今だからこそ、師匠にお会いしていろんなことをお話したいと願いますね……」
修士課程2年次の時に郷家さんにとって、人生の転機が訪れます。藝大オペラ、モーツァルト作曲『皇帝ティートの慈悲』セスト役としての抜擢です。
「私達の学年は、ソプラノとメゾソプラノが多くて、テノールが1人、バリトンはゼロという編成だったので、藝大オペラの演目を決めるのは大変だったと思います。結果として『皇帝ティートの慈悲』になり、私は念願のセスト役を演じることになりました。
この本番までの過程が、自分にとって大きなターニングポイントになったんです。『ティート』のレチタティーヴォは心理劇としての要素が強く、ヴィテッリア役だった藤野さんとも語り合い、放課後までずっと自主練をしていました。
現在、様々な舞台にのらせていただいていますが、あの原体験を超える舞台はないですね。それだけ強烈であり、作品に深く向き合ったという自負があります。そして、オペラって楽しい、舞台って楽しいって自然に思うことが出来たんです。それまで卑屈なところを拭い去れなかった私ですが、この大役をつとめあげたことで大きな自信が生まれました。あの時の仲間にも、当時オペラ科の主任でらした伊原直子先生にも深く感謝しています。
その後、修了演奏ではリヒャルト・シュトラウス作曲の『ナクソス島のアリアドネ』から作曲家役を演じました。学部卒業と共に平野先生が退官されたので、大学院では寺谷千枝子先生に師事していたのですが、その寺谷先生から薦められた思い出の役です。一年間かけて向き合ったことで、その後リヒャルト・シュトラウス作品をはじめとしたドイツ・オペラに向き合う基盤を築くことが出来たのではないかと思います」
東京藝術大学に通っていた時に、郷家さんにとって新たな憧れの場所が生まれました。それが東京文化会館です。
「学生時代は実技やレッスン以外の時間は、東京文化会館でアルバイトをしていました。劇場という場所が好きなんです。そこで影アナウンスをやったり、アルバイトメンバーを統括する役職に就いたりしていました。
東京文化会館で働いていた中で忘れられないのは、世界のスターが舞台裏で見せる素顔。たとえば、ブリン・ターフェルは影アナウンスとして舞台袖に控えていた私にウィンクを送ってくれたりしました。またバレエダンサーのシルヴィ・ギエムがまとった空気や、背中の美しさも忘れられません。
そうした表現者の方々の姿に触れる中で、いつか自分も東京文化会館の舞台に立ちたいという想いが膨らんでいきました。いまもそうですが、劇場にいられる時が一番のびのびと、自分らしくいられるような気がしています。劇場がとにかく好きなんですね」
郷家さんは、はにかんだように笑いました。
回り道があったから、いまがある
「自分は思い込みが激しいところがあるので、音楽の仕事をする上でも『こういうルートじゃないと駄目!』と思っていたところがありました。たとえば、大学院を修了したら留学をして、その後にコンクールで入賞しなければ、音楽活動の王道を歩けないとか……。留学しようとしていたものの入学直前でやめてしまった経験もあり、自分の目指すルートから外れてしまった自分自身を認められない時期も長くありました。
けれど友人が30代半ばにして二期会のオペラ研修所に通い始めた姿を見て、『ああ、いくつになってもやりたいことをやっていいんだ』と気付いたんです。確かに王道と呼ばれる道は素晴らしいけれど、道ってそれだけじゃないんですよね。もちろん、そうしたルートを歩んでいる方は素晴らしいと思います。でも、その道じゃないといけないってことはなくて、あるべき姿も人それぞれなんですよね。
そうしたメッセージは生徒さん達にも伝えています。生徒さんの中には、才能があるのに認められない時間が長い方もおいでですが、そんな方には『自分だけの道を見つければいいのよ』と伝えています。自分の道は、自分で作っていけばいいんです。
私自身も、回り道があったからいまがあると感じています。自分の性分として、経験したから分かることがある、見えることがあると考えていますが、私も一度結婚して、3人の子供たちの母になったからこそ、ようやく気付けるようになったこともあるように思います。子供たちが無条件に自分に向けてくれる愛情で、自分の中の深いところが変わっていく過程も感じました。子供たちからの愛を知って、他者に対して慈しむ気持ちを深く持てるようになれたのが、とても嬉しかったです。母が自分に注いでくれた愛情にも、いまあらためて感謝しています」
「いつか門下の先輩である山下牧子さんが『神様に呼ばれたら行くし、呼ばれなかったら行かない』とおっしゃっていたことがあったんです。その言葉を聞いたのは人生の中でもつらい時期だったのですが、牧子さんの迷いのない言葉にハッとしました。そうだなあ、その通りだなあ……と心に深く染み込んで、今でも大事にしている言葉です。
いまは周りの方がおっしゃってくださることをよく『聴く』ことを心に留めています。どんなことでも、まずは素直に耳を傾けようと。そして求めていただける〈郷家暁子〉を表していきたいと願っています。いろいろな方からおっしゃっていただけることには、歳を重ねれば重ねるほど、感謝が深まるばかりです。
機会があったら、これから演じてみたい役ですか? そうですね、人生の様々な場面で支えてくれているカルメンは、これからもずっと育てていきたい役ですね。二期会オペラ研修所のマスタークラスの1年間でも、前期と後期の2回にわたってカルメンが回ってきたんです。『ああ、カルメンは合っているのかもしれない』と、その時にあらためて思いました。
また『ウェルテル』のシャルロッテも、全幕演じてみたい役です。大学院の修了演奏で演じた『ナクソス島のアリアドネ』の作曲家も……いま言った役はすべて、先生方が『合っているよ』と薦めてくださった役なんです。いつもこうやって、周りの方々の方が自分をよく理解してくださっていて、気付かせてくださることがとても多いんです。本当にありがたいことだと感謝しています。
11月の二期会オペラ公演『こうもり』のオルロフスキーもまた、そうした役のひとつです。自分がどれだけのことを出来るのか、ドキドキして不安もありますが、今まで培ってきたことを反映させて、二期会の一員としていい舞台をつくっていきたいと願います。メンバーも素晴らしい方々ばかりで、今からとても楽しみです。『こうもり』は特にチームプレイが大事な作品だと考えているので、いいチームでいい作品をつくっていきたいですね。
公演にはぜひ、多くのお客様にいらしていただきたいです。私が劇場から受け取ったバトンを、お客様に手渡すことが出来たら嬉しいですね。劇場で、お待ちしています!」
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