いつも心をオープンに ── ソプラノ歌手・別府美沙子さん
ヒューマンインタビュー第17回目は、ソプラノ歌手・別府美沙子さん。
別府美沙子(べっぷみさこ)
東京音楽大学声楽専攻声楽演奏家コース卒業、同大学大学院声楽専攻オペラ研究領域修了。第5回Lissone音楽コンクール(イタリア)第2位。第4回浜響ソリストオーディション第1位。第46回イタリア声楽コンコルソ及び第53回日伊声楽コンコルソ入選。
イタリア・ミラノに留学中、パンディーノ市「カルメン」フラスキータ、バレーゼ・リグーレ市オペラ・フェスティバル「リゴレット」チェプラーノ伯爵夫人/小姓、パンディーノ市「リゴレット」ジルダ、ヴィメルカーテ市「セビリャの理髪師」ロジーナで出演。国内でも「ラ・ボエーム」ムゼッタ、「コジ・ファン・トゥッテ」フィオルディリージ/デスピーナ、「修道女アンジェリカ」ジェノヴィエッファ、「青ひげ」エレオノール、「電話」ルーシー、「愛の妙薬」アディーナ、「仮面舞踏会」オスカル、「椿姫」ヴィオレッタ等で出演。17・19年、小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト「カルメン」にフラスキータのカヴァーキャストとして参加し、同プロジェクト“子供のためのオペラ”に出演。21年4月藤原歌劇団に「ジャンニ・スキッキ」ラウレッタでデビュー。22年2月日本オペラ協会「ミスター・シンデレラ」伊集院薫で出演予定。
22年3月小澤征爾音楽塾オペラプロジェクト「こうもり」ロザリンデのカヴァーキャストとして参加予定。
藤原歌劇団団員。日本オペラ協会会員。東京都出身。
今春、藤原歌劇団『ジャンニ・スキッキ』でラウレッタ役として華々しいデビューを飾った別府さん。インタビューをした12月上旬は、文化庁巡回公演『助けて!助けて!宇宙人がやってきた!』で音楽の先生役、そして来年2月の日本オペラ協会『ミスター・シンデレラ』で伊集院薫役に向けての稽古の合間をぬって、駆けつけてくださいました(なお現在は、2021年内の文化庁巡回公演は終了しています)。
小澤塾『カルメン』『こうもり』などで主要な役のカヴァーキャストもつとめられるなど、ご自身の目標に向けて確かな歩みを進められる別府さんに、心身の整え方やご自身の楽器・音楽への向き合い方、そして『ミスター・シンデレラ』に向けての想いなどを伺いました。
いつも心をオープンに柔らかく
「もうすぐ『助けて!助けて!宇宙人がやってきた』の巡回公演が始まります。今日はこれから通し稽古。並行して『ミスター・シンデレラ』も稽古が始まっているので、最近は毎日のように新百合ヶ丘に通っていますね。
『ミスター・シンデレラ』で私が演じる伊集院薫は、自分自身が蜂の研究者であると共に、ミジンコの研究者・正男を夫に持つ女性。ただ、正男はうだつがあがらなくて、薫はじれったく思っています。また、姑から『孫はまだなの?』と訊ねられて、ストレスを感じる場面も。そうした薫の姿に、共感を抱く女性の方も多いのではないでしょうか。
私個人としては、薫が明るくエネルギッシュな性格なところにシンパシーを感じつつ、とても楽しく稽古を重ねています」
明るい笑顔で朗らかに語る別府さん。違う演目の稽古を並行しておこなう際には、無意識のうちに心身にも負荷がかかりそうですが、どのようなことを日々心がけていらっしゃるのでしょうか。
「じつはここ数年、体のことを考えるのが自分の中でのブームなんです。最近はパーソナルジムに通い始めたのですが、トレーナーさんから教わってじっくりトレーニングしていくと、筋肉ってつながっているんだな……ってことを実感しますね。人間は一枚の皮で出来ていて、その中で筋肉や骨や内臓が精密に組み合わさって、つながっているってことを、改めて感じる毎日です。
たとえば私はすこし反り腰なんですが、体を鍛えているうちにその原因も感覚的に理解出来てくる。とても面白いです。また、歌のレッスンで先生が長いこと言ってらした体幹についても、体を使う意識が以前とは変わっていることで、『なるほど、こう使っていけばいいんだ』など、理解が新しくアップデートされていくのを感じます」
「先生がおっしゃってらしたことなんですが、『無自覚に使っている筋肉は、無自覚に衰えてくる。だからこれからは無自覚に使っていた筋肉も、自覚を持って使っていかないといけない』って言葉がとても印象に残っていて。パーソナルトレーニングを受けていると、そうした無自覚に使っていた筋肉も鍛えられていくのがわかって、とても勉強になります。
先日は腕のトレーニングを受けたのですが、二の腕には数種類の筋肉があると教えていただきました。実際に、それぞれにはたらきかけるトレーニングをしたのですが、その後でそれぞれの部位がしっかり痛くなったのには感動しました(笑)。
なので、体のことを今更ながらしっかり勉強しています。何事も深く入り込むと面白いですよね。」
「年齢を重ねて、徐々にキャリアも重ねてくると、若い頃と同じことをしていても、満足のいく結果に至らないんですよね。ストレスを感じるポイントなども変わってくるけれど、それと同じくらい緊張した時や心身がこわばった時の対処法などもわかってくる。これは歳を重ねて、経験を重ねた利点と言えるでしょうか。
あと、これは自分自身の思考についてなんですが、いつの頃からか自分で自分を痛めつけないような考え方に切り替えていたことに気が付きました。どうしても向上を目指していると、なんでこんなに出来ないのかと自分を責めていましたが、それって自分を痛めつけているんだなって。3回同じことを思うと、3回分自分を落ち込ませてしまうんです。だから、ある程度分析して反省したら、意識して気持ちを切り替えるようにしています。モチベーションをフラットに保っていくことって、すごく重要なんだってことがよくわかりました。
ともかく、メンタルと体はものすごくつながっているのを日々感じています。心が閉じてしまうと、体も閉じてしまうし、声も音楽も閉じてしまうんです。だから、いつも心をオープンに柔らかくしていようと心がけていますね」
偉大な役、ヴィオレッタ
イタリアに留学し、特にベッリーニやドニゼッティ、ロッシーニのオペラを愛する別府さん。経験を重ねて、近年はレパートリーが徐々に変わってきたと言います。
現在、別府さんが特に注力しているのがヴェルディ作曲『椿姫』の主役、ヴィオレッタ。プリマドンナの代名詞とも言われるこの役に、別府さんはどのようにいどまれたのでしょうか。
「今年の夏に、ようやくヴィオレッタに全幕取り組む機会がありました。じつはヴィオレッタは、学生時代から至るところで薦められてきた役だったんです。大学院の時にも2回薦められました。大学院修了の時の演目としても薦められたのですが、その時にはベッリーニの『清教徒』を演奏しました。
その後、研修所の修了の時には、思いきってヴィオレッタを選ばせていただきました。その時、いずれこの役をレパートリーとしていく時が遠からず訪れるんだろうな、と感じたことを思い出します。
実際に演じてみて思うのは、ヴィオレッタはやはり特殊な役であるということ。多くのソプラノが歌いたいと願うのがよくわかる、偉大な役です。
ゲネプロの時の出来事なのですが、第3幕の手紙を読む場面からずっと涙が止まらないということがありました。歌が乱れるということはなかったのですが、アルフレードとの再会の時も、涙が止まらなくて。自分は比較的冷静に役作りをするタイプで、これまでは役柄を自分に引き寄せるような役作りをしてきましたが、こうした経験は初めて。ヴィオレッタの感情に引き込まれて、新しい感覚を得られることができました」
「おそらく、今までは自分の持っているものの中で対応できる役が多かったんです。だから比較的つかみやすかったし、なんというか手の内で対応できていました。
けれど、ヴィオレッタに挑んでみて、それだけじゃ対応できないものの存在を大きく感じて。ヴィオレッタが何をしているのか、何を望んでいるのか、演出家の先生ともディスカッションしながら、彼女の気持ちを第一に探っていきました。
ヴィオレッタを歌っている時には、ここがこうだったなとか反省したり考える間もなく、舞台上での時間が過ぎていきます。ヴィオレッタとしての感情の起伏は様々にあるんですけど、歌い演じている自分にとっては、淡々とひとりの人生が終わっていくまでの演劇が続くという感覚。
ヴィオレッタは肺の病気をわずらっているけれど、演じる自分は元気である必要がある。歌手としてひとりの人生を生き抜くということをやったことがなかったから、新しい扉を開くことができたように思います。様々なソプラノの方が演じたいのが理解できる、全てを注ぐ甲斐のある特別な役だと、改めて思います」
『ミスター・シンデレラ』、そしてこれから
「今回『ミスター・シンデレラ』で演じる伊集院薫とは、比較的年齢も近いんです。だから、同世代の女性として彼女の生き方には様々なことを思います。結婚して、自分も一生懸命働いているところで、家事をしなきゃいけないと求められたり、研究がなかなか認められない中で『孫はまだ?』というストレスを感じたり……。初演から20年ほど経って、世の中の状況もだいぶ変わったので、いま現在は世の中全体としてはそうした要素は薄らいでいるかもしれませんが、同じようなストレスを感じてらっしゃる方も少なくないはずです。薫にもそうした心の内を吐露する場面があって、『もうたくさん!!』と嘆く箇所もあります。
作曲家の伊藤先生は、『単なるコメディオペラにはならないでほしい』とおっしゃっていらしたそうなんですが、先生のそのお言葉がとても印象に残っています。作品の中に出てくる登場人物はみんな、なんらかの心の葛藤を抱えています。主人公の正男も、薬の作用で自分とは真逆のセクシーな女性になって、そこでしか得られない喜びや快感と出会いますが、最終的にはどちらの自分で生きていくかという選択を迫られる。ファンタジー要素はありますが、作品の中の様々な要素が自分と重なる人も多いと思います。
作品の中で『孫はまだか?』と訊ねられる場面では、日常の会話の中での些細な行き違いがこういうストレスを生む要因になるよな、と感じます。親子であれ、夫婦であれ、義理の親子であれ、自分の気持ちや抱えているものがどこまでわかりあえるかって……難しいですよね。誤解もありますし。
相手は何気なく発した言葉かもしれないけれど、受け取る側は気にしてしまったり、責められているように感じてしまったり。ひるがえって、自分はどうなんだろう……と気にしたり。お互いに自分の気持ちを察してほしいという気持ちのベースがあるからこそ、難しいのかもしれません。でも、言わなかったらわからないままなんですよね」
「これからのビジョンとしては、引き出しを増やしていきたいです。自分が自分自身に対して思う心地良いイメージと、周囲から持たれるイメージって違うけれど、その違うイメージにも取り組んでいきたいという気持ちがあります。
ベルカント・オペラはもちろんやっていきたいですね。その中でも、オペラ・ブッファ(楽しいオペラ)をやっていけたら嬉しいです。『ミスター・シンデレラ』をやっていて、やっぱりブッファって楽しいな、もっとやっていきたいな、っていう気持ちが強くなっているのも感じます。その中でもドニゼッティ作曲の『愛の妙薬』や『ドン・パスクァーレ』は自分に合う作品だと思うので、積極的に取り組んでいきたいです。
人から見て、余裕があるように見える役というのが、自分に本当に合っている役だと思うんですよ。ヴィオレッタはまだ背伸びが必要だけど、五年、十年経って自分にフィットしていると感じられる時が訪れるように勉強を続けていきます」
「また、フランス・オペラやオペレッタも自分のレパートリーとして、いつでも取り出せるようにしておきたいです。特にマスネ作曲『マノン』や、J.シュトラウス2世作曲『こうもり』は特別な作品。いつでも自信をもって、歌っていきたいです。
いつかできたらいいなと願っているのは、オッフェンバック作曲『ホフマン物語』の全役を同時に演じること。海外のプロダクションだとそういう事例があるんですよね。オランピア、アントニア、ジュリエッタ。この3人の女性の生き様を表現できたら……というのが、ひそかな夢です。また将来を考えるとグノー作曲『ファウスト』のマルグリートも勉強していきたいです。
あと、レハール作曲の『メリー・ウィドウ』のヒロイン・ハンナも、様々な方から『合いそうだよね!』とおっしゃっていただけている役。ぜひ、機会があったら積極的に挑戦していきたいです」
「今回の『ミスター・シンデレラ』の伊集院薫もそうですが、自分に合っていると思うのはエネルギーを放出するような強い女性ですね。以前に歌ったヴェルディ作曲『イル・コルサーロ』のグルナーラも、そうした強い女性だったのを思い出します。
若い時には声ばかりを重視していましたが、歳を重ねてくるとそれだけじゃない自分自身のプレゼンスも考えるようになりました。自分が自分のプロデューサーになったような気持ちで、自分という素材を毎日チェックしています。
けれど、いろいろ考えても、結局楽しく演奏できた時がいちばん自分らしいんですよね。楽しい時は、いい時です。楽しく歌えているというのは、自分が自分らしくいられて、背伸びすることなくいられるということですものね。
だから『ミスター・シンデレラ』も、楽しく演じていきたいです。そして、ご覧になっていただいた皆様の心に、なにか残るものを伝えられたら嬉しい限りです。ぜひ、2月19・20日は新宿文化センターにいらしてください」
そして別府さんは、明るく華やかな笑顔をこちらに向けました。
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