コレペティトールとしての矜持──コレペティトール・木下志寿子さん
ヒューマンインタビュー第10回は、コレペティトールの木下志寿子さん。
木下志寿子(きのした しずこ)
お茶の水女子大学文教育学部音楽科ピアノ専攻卒業。同大学院修了。2005~2006年ドイツに留学、ドレスデンのザクセン州立歌劇場において研鑽を積む。
コレペティトールとして数々のオペラ公演を支えながら、声楽の共演ピアニストとしてコンサート等でも活躍している。
これまでに新国立劇場、二期会を中心に多数のオペラ公演において音楽スタッフを務め、国内外の指揮者、歌手達から高い評価を得ている。オペラのレパートリーは60作品に及ぶ。特にドイツオペラ上演においては重要な存在であり、ワーグナーやR.シュトラウスの作品に数多く関わる国内有数のピアニストである。
2013年には国内を代表するワーグナー演奏家達と「わ」の会を結成、ワーグナー作品をピアノ伴奏で上演する活動を続けており、好評を博している。
また、これまでに静岡国際オペラコンクール、PMF国際教育音楽祭などの公式伴奏ピアニストも務める他、オペラ研修所等で後進の指導にもあたっている。
現在、新国立劇場ピアニスト、同劇場オペラ研修所講師、二期会オペラ研修所ピアニスト。
「コレペティトール」という仕事を、初めて聞いた方もいらっしゃるかもしれません。コレペティトールとは、劇場とオペラを熟知し、劇場でのオペラ制作のサポートをすると共に、歌手の音楽コーチもつとめるという、専門的な領域を担当するピアニストです。
コレペティトールの木下志寿子さんは、特にドイツ・オペラのスペシャリストとして、新国立劇場をはじめ、日本のオペラシーンで欠かすことのできない存在です。近年は、日本を代表されるワーグナー歌手の集う「わ」の会でのご活躍もあり、ますます目を離すことができません。
筆者は2015年の日本ワーグナー協会例会の演奏会でご一緒したことがきっかけとなり、ご縁を持たせていただくようになりました。2021年1月28日(木)の、二期会サロンコンサートでもご一緒させていただく予定です。
木下さんとのお話は、これまでの歩みをはじめ、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウスの音楽について、そしてこれからの将来についてなど、非常に多岐にわたっていきました。今回は、筆者の質問も挟み込む形でお届けしていきます。
運命を変えた《トリスタンとイゾルデ》
「この仕事を始めた時は、イタリアオペラを中心に弾くことが多かったんです。大学を卒業してから、二期会のイタリア・オペラ研究会でお仕事を始めて。だから最初は《椿姫》とか、《ラ・ボエーム》などを多く弾いていました。
20代の間に新国立劇場のオペラ研修所でもお仕事を始めたのですが、音楽ヘッドコーチでいらしたブライアン・マスダさんから『早いうちにドイツに行った方がいい。そして、ドイツの劇場で仕事をしてきた方がいい』とアドバイスをいただいて、ドイツで勉強するということを考え始めました。
そして、29歳でドイツに留学しました。ドレスデンの歌劇場で、コレペティトールの実習生として勉強し、研鑽を積ませていただきました。
その中で忘れられない体験ですか……。それはやはり、学んでいた歌劇場で、ワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》の上演に触れた時ですね。衝撃を受けました。4階の天井桟敷で聴いたのですが、まるでこの世のものとは思えない位に美しかったです。天井に描かれた宗教画も近かったので、このまま天に召されるような心持ちでしたが、それでもいい、それでも構わない……と思っていました。
ドレスデンでは、ワーグナーの《ニーベルングの指環》や、リヒャルト・シュトラウスの《ばらの騎士》をはじめ、様々な作品に触れました。劇場で、生の音楽のシャワーを浴びて、『これだ』と感じましたね。中でもやっぱり、ワーグナーに出会ったことが大きいです。そうやって、ドイツ・オペラの世界にずぶずぶとはまっていきました。
そして『《トリスタン》を弾けるピアニストになりたい』という目標が生まれました。その目標に向けて、さらに追究を深めていきましたね」
2005年12月 ドレスデンにて
「ドイツに2年いて、新国立劇場に戻ってきてから、すぐにベートーヴェンの《フィデリオ》、そして《ばらの騎士》、そして二期会でも《ダフネ》と続いて、ドイツ・オペラのプロダクションに加わる機会に恵まれました。それを経て、ドイツ・オペラの人として認識されるようになったように思います。
2010年には、念願の《トリスタンとイゾルデ》も弾くことが叶いました。新国立劇場のプロダクションで、大野和士さんの指揮で弾かせていただいたんです。そう、現実になったんです。ずっと温めて、モチベーションの源になっていた夢が叶ったんです。強く願うって大事なんだな、ってその時に思いました。オリンピックに出られることが決まったみたいに嬉しかったですね。
《トリスタン》って、ワーグナーの作品の中でもすごく特殊な作品だな、って感じていて。個人的というか、〈人間〉としてのワーグナーの息づかいを色濃く感じますね。特に、第2幕の、〈愛の死〉の音楽をベースに展開されていく、夜の二重唱なんて、恋している感じがすごく伝わってきますよね。ああいうところに、ワーグナーの毒というか、魔力を感じます」
──ワーグナーの毒、よくわかります……! あの場面は、最高に美しいですよね。
「ね! ワーグナーの作品の中でも、たとえば《タンホイザー》のエリーザベトや、《ローエングリン》のエルザなんかは、イゾルデとは全く色が違いますよね。エリーザベトは、もう純白。エルザにはちょっとねっとり感があるけれど、それでも初期ならではの爽やかさを感じますね。まあ、同じ初期でも、より実験的な要素の強い《さまよえるオランダ人》のゼンタには、情念の紫というか、煮詰めたような濃い色合いを感じますが。
《トリスタンとイゾルデ》は、作品の中でも語られていますが、原題 "Tristan und Isolde" の "und" の存在が、とても重要なんですよね。この、トリスタンと、イゾルデを結びつける、小さな "und" が、本当に大事で……って、藤野さんもワーグナー歌いだから、ついついこの話題は盛り上がってしまいますね(笑)」
──私自身にとっても、ワーグナー作品の入り口であり、人生の中でも非常に特別な作品が《トリスタンとイゾルデ》なので、こうして濃いお話で盛り上がれるのは、とっても嬉しいです。そう、この"und"は本当に大事なポイントなんですよね……!(笑)
ワーグナーの中で心惹かれるのは……
2018年8月 バイロイト音楽祭にて
──ワーグナーの話題をもう少し続けますが、《ニーベルングの指環》の中で、木下さんが最も心惹かれるのは、どの人物ですか? 人物、というか、そうでない神々とかもおいでですが……。
「《指環》の中で、ですか……難しいなあ。うーん、でも、ひとり挙げるとしたら〈さすらい人〉でしょうか」
──ヴォータンではなく、〈さすらい人〉なんですね。
「ええ。《ジークフリート》第3幕の、エルダとの対話の場面を経て、ジークフリートとの対話に至る場面は最高ですね。燃える炎など、数々のモティーフの重なり合いは本当にすさまじいですよね。弾いていると、わくわくしすぎて、血が熱くなります」
──確かにあの場面は「すさまじい」という言葉が、よく当てはまるように思います。それでは、《ニーベルングの指環》も含めて、ワーグナーの全部の作品の中で、心惹かれる人物はいかがでしょうか。
「それはやっぱり、トリスタン……と、イゾルデですね。分けられません(笑)
《トリスタンとイゾルデ》と《パルジファル》って、ワーグナーの作品の中でも特殊なんですよね。ワーグナーの非常に個人的な領域、そして深い内面を描いているようで、他の作品とは一線を画している──そんな気がします。他の作品は、エンターテインメント性が強かったり、《ニーベルングの指環》なんかはアドベンチャー性も強いのですが」
──確かに、《ニーベルングの指環》は、ちょっと現代のRPG的な要素を思わせますよね。
「そうそう。でも、《トリスタンとイゾルデ》と《パルジファル》は、もっと深遠です。特にトリスタンは、苦しみや過去の悲しみを一身に背負っていて、ずっと救いを求めている。
ワーグナーの男性像って、みんなひとまとめにすることは出来ないけれど、多かれ少なかれ、苦しみを背負っているんですよね。あ……でも、ジークフリートは苦しみ背負ってないけれど(笑)。
苦しみの背負い方は人それぞれ。死にたいけれど死ねない、ずっと死に場所を探しているっていうのが、《さまよえるオランダ人》のオランダ人と、《パルジファル》のアンフォルタス。ヴォータンやタンホイザーは苦しみを背負ってるけど、自業自得な感じでしょうか。程度は違えどみんな、女の人に犠牲になって救ってほしかったんだなあって、思います(笑)」
──個人的には、ワーグナーの描くそういう男性像に、きゅんとしてしまいます(笑)。
ワーグナーは体力を使う。シュトラウスは神経を使う。
ドレスデンにて、《ダナエの愛》の楽譜と共に
──ワーグナーは言葉と音楽の関係を新たな領域に進めた人物だと感じているのですが、リヒャルト・シュトラウスの作品もまた、言葉と音楽の関係が非常に密接ですよね。リヒャルト・シュトラウスの作品については、どう思われますか?
「シュトラウスは、ワーグナーとは違ったやり方で、言葉のイメージを音楽にしていますよね。
たとえば《ばらの騎士》なんて、薔薇の香りの音がするじゃないですか……。ああいう風に、物を音で表現するっていうのは、シュトラウスの独特な個性だと感じます。《サロメ》でも、さそりとかライオンとかの言葉が出てきたら、ぞわぞわ這い回る様子とか、ギャーっていう咆哮とか、オノマトペみたいな感覚そのものを音で表現する場面とかありますよね。ああいうところって、シュトラウスのすごさだと思います。
ワーグナーは、モティーフを構築してから、それをパズルのように組み合わせて曲にしていくんです。モティーフがあって、それを重層的に組み合わせていくやり方です。だからシュトラウスとは、過程が違いますよね。シュトラウスの方が直感的というか、感覚的に作っているように感じます」
──言葉から想起されるイメージへのアプローチが違いますね。
「そうなんです。ちなみに、弾く時にいつも思うのは、『ワーグナーは体力を使う。シュトラウスは神経を使う』ってことですね」
──歌う側としても、よくわかります……!
「ですよね。ワーグナーは、一本強い芯があって、それが最後まで貫いているので、耐久力こそが勝負になるとも思っています。
それに比べると、シュトラウスは体力をワーグナーまでは使わないんです。むしろ、ふわっと、さらっといける。けれど、神経の消耗具合は半端ないです。シュトラウスはめまぐるしくテンポが変わるし、調性もくるくる変化していく。次の展開に向けて油断ができないんですよね。すごくトリッキーなんです」
──同じ音を伸ばしている間に、どんどん調性が変わっていって、着地までどきどきする……ってことも、よくありますよね。そうした音楽を作るシュトラウスの人間性については、どのように感じられますか?
「《エレクトラ》や《サロメ》みたいな陰惨なドロドロ系の作品と、《ばらの騎士》みたいな洒脱な作品と、どっちも書いているって、すごいことですよね。すごく流麗だけど、熱いマグマみたいなものもあって。
だけど、ご本人の指揮を見ると、すごく冷静なんですよね。あれだけうねりのある音楽をつくる人だから、指揮もすごく情熱的なんじゃないかと思っていたこともあったけれど、ものすごく淡々としているように見えるのが衝撃的で。
指揮者は汗をかくべきではないというのがポリシーだったようですが。作品の印象と、指揮者としてのスタンスにギャップがあって、多面性を感じます。」
──たしかに、あの指揮される姿は衝撃的です。
「そうなんです。音楽はあれだけ色っぽくて、官能的なのに。作品が全て物語っているから、指揮者は何もしなくても良い、という考えだったのかもしれませんね。」
イタリア・オペラの魅力
──今まではドイツ・オペラのお話をお伺いしてきましたが、イタリア・オペラはいかがでしょうか。ドイツ・オペラと比較して、どのような違いを感じられますか?
「自分の中での、弾く時の感覚的なものなのですが、〈リヒャルト・シュトラウス─プッチーニ〉、そして〈ヴェルディ─ワーグナー〉というラインの組み合わせに分けていて。どちらのラインも好きなのですが、より自分に近いと感じるのは〈シュトラウス─プッチーニ〉ラインですね。
〈ヴェルディ─ワーグナー〉ラインは、もちろん全部が重なるというわけではなくて。やっぱり、ヴェルディの前期・中期は、それまでのイタリア・オペラの伝統的なスタイルや形式にのっとっているからこその魅力を、とても色濃く感じます。
プッチーニとシュトラウスは、言葉の扱い方のセンスに、共通するものを感じますね。言葉の感覚をそのまま生かして、音楽につながっていく感じというか。
ヴェルディの中でも、最晩年の《オテッロ》と《ファルスタッフ》は、言葉と音楽の結びつきが、もう一段か二段ほど深くなった印象を感じます」
──たしかに、その二作品は《メフィストーフェレ》の作曲家でもあった、文筆家のボーイトが、ヴェルディと共に台本を作っていったことで、ヴェルディの新たな境地が拓かれましたよね。
「そうなんですよね。言葉に対するヴェルディの感覚は、すごいです。ヴェルディのそうした片鱗は《アイーダ》にも感じられますよね。《アイーダ》の中でも、特に第3幕にその要素を感じます」
──第3幕でアイーダが歌う「おお、わが祖国」の美しいこと……!
「本当に……! あのしなやかな音楽、そしてオーケストラの変化などは特筆すべき場面だと感じます。《アイーダ》は、新しいヴェルディとそれまでのヴェルディの狭間に立つような作品で、新旧どちらの要素もあるのが、独自の魅力の源になっているように思います。
ヴェルディよりも一世代前の、いわゆるベルカント・オペラについては、歌い手の呼吸とラインこそが生命線ですね。ラインの美しさを楽しむものだから、表現に求められている物が違うんですよね」
──歌い手の立場としては、ベルカント・オペラを歌っている時には、自分の「楽器」としての側面を強く感じています。
「やっぱりそうですよね。オーケストラで助けるということも出来ないけれど、歌い手の技術あってこそ成立するのが、ベルカント・オペラの魅力ですよね。
新国立劇場ではドニゼッティの《ランメルモールのルチア》、ロッシーニの《セビリャの理髪師》、《ラ・チェネレントラ》と取り組みましたが、やはりベルカント・オペラ独特の難しさというのを感じました」
歌と呼吸を合わせて
──新国立劇場のお話が出てきたところで、今年のコロナ下でのご活動についてお伺いできれば幸いです。
「今年は、皆さんそうでらしたと思うのですが、本当に大変な年でしたね……。先日、新国立劇場の《こうもり》で、何ヶ月かぶりに劇場に戻れました。前回が《ラ・ボエーム》だったのですが、1・2月のプロダクションだったので、9ヶ月ぶり。
本来でしたら、5・6月に《ニュルンベルグのマイスタージンガー》にも携わる予定だったのですが、それも中止になってしまいました」
──あれは、本当に残念でした……。
「私もです。《ニュルンベルグのマイスタージンガー》は、全曲弾くのが初めての作品だったので、自分の中では第2のオリンピックとして位置づけていました。今回は残念でしたが、準備ができたことで財産になりました。次の機会を待ちたいと思います。
ぽっかりと空白になった期間には、お声がけいただいて、伴奏だけを録音するお仕事を多くしていました。でも、その時に、普段どれだけ歌の方とアンサンブルをしながら音楽をつくっていたか、ということを思い知りました。よく知っているはずのオペラアリアでも、ミリ単位の細かいルバートやフェルマータなど、わからなくなりました。
いつも、歌に自然に合わせていましたが、それがどれだけ貴重なことだったか……。歌なしで、全てを自分で決めるというのが、どれだけ大変なことか、よくわかりました。カラオケ録音して、その後自分でも一緒に歌ってみて、息が入らないようなところをチェックするのも、何回も繰り返しました。細かい、本当に微細なところまで、歌に対応して音楽を奏でていたんですね。だから、すごい勉強になりましたし、自分の音楽を考え直すきっかけにもなりました。
緊急事態宣言が出て、最初の頃は歌い手の皆さんも本番がなくなってしまったので、コレペティのレッスンもありませんでしたが、徐々にオンラインレッスンのお問い合わせもいただくようになりました。オンラインツールは時差があるので、なかなか難しいなとも思っていたのですが、ヤマハのSYNCROOMを使うようになってからは、その問題がかなり改善されました。
そうやって、オンラインレッスンを続けるうちに、遠方にいる方からのお問合せをいただくようにもなりました。先日は名古屋の方が受けてくださいました」
──とても嬉しいですね!
「そうなんです。その前から、地方ではオペラ劇場もスタッフも少ないため、コレペティレッスンの需要はあると感じていたのですが、こうした状況になって、皆さんがお声がけしてくださるようになりました。これからは、地方での人材育成にも、より力を注いでいきたいです」
コレペティトールとして、木下さんが劇場に入られるまでにどのような準備を重ねられるか──。ご自身の言葉で綴られた記事「コレペティトールのお仕事」からは、その真摯な姿勢を垣間見ることができます。ぜひ、ご一読ください。
「私は、目の前の方の才能が開いていくのを見る瞬間が、一番幸せなんです。その方に合う役や音楽を一緒に考えて、それがはまった時には、ものすごく嬉しくなっちゃいます。適材適所という言葉がありますが、そのパズルのピースを一緒に探せるのが、とても嬉しいですよね。
この20年ほど新国立劇場や二期会でオペラの現場に携わり、その中で自分自身のレパートリーとなったのが60作品。いい経験を積ませていただいていると感謝しています。だから、これからは還元していきたいし、伝えていきたいですね。
これからのビジョンのひとつとして、ドイツ・オペラを歌う方を増やしたいという目標もあるんです。藤野さんもそうですが、国内にはドイツ・オペラに適した人材が多くおいでだと思うんですよ。そういう方々の発掘をしていきたいなという気持ちと、ドイツ・オペラのレパートリーを広げておいていただいて、いつでもジャンプインできるような準備のお手伝いをしていきたいという気持ちが、いつしか強く育ってきたんです」
──私自身も、木下さんのご助言をいただいて、ドイツ・オペラのレパートリーを少しずつ増やし、育てているので、それがどれだけ有益なことか、身にしみて感じています。
コレペティトールとしての原点
2019年12月 八女ジュニア合唱団35周年記念コンサート
──木下さんの奏でられる音楽は、ピアノの鍵盤の限られた世界を超えていて、オーケストラ的な感覚で弾かれていると、いつも感じています。そして、歌い手の呼吸や、無意識の願望にも気づいてくださって、本当に微細な領域まで調整してくださいますよね。これは、生まれ持っての感覚も大きいのでしょうか?
「ありがとうございます。自分ではまだまだだと感じていますが、そう言っていただけるととても嬉しいです。
もともと歌は好きで、習っていたんです。小学4年生から6年間、児童合唱団で歌ったり伴奏したりしていました。大学受験の時にも歌の試験があったので、高校時代は声楽のレッスンにも通ったんです。大学に入ってからも声楽の授業で歌い、伴奏も多く担当していました。歌と伴奏を両方やっていた歴史が長かったんですね。
私の通っていたお茶の水女子大学では、毎年学園祭で、女性だけでオペラを上演するんです。そのオペラで、スメタナの《売られた花嫁》のイェニークという男性の役をやったことがあって。ズボンをブーツの内側に入れたりとか、いろいろ工夫して役作りしていました(笑)
でも、私は鼻のアレルギーがあって、コンディションを整えるのが大変だったんです。だから、歌うのは好きだったけれど、自分はピアノでいこうと決めました。だから、歌い手の皆さんがコンディションを整えられるのは大変だってこと、すごく共感できるんです。
大学では、オペラ演習の授業で伴奏も担当していました。平尾力哉先生が演出で、助演で片寄純也さんがいらしてくださったりと、とても豪華な布陣での授業でした。授業では、指揮を見て、歌の呼吸に合わせながら弾いていくのですが、これが子供の頃から合唱団でやってきたことと同じだったんですよね。そして、自分にとっては、すごく楽であり、楽しくて仕方のないことでした。ショパンやベートーヴェンの独奏曲を弾くよりも、指揮を見て、歌と一緒に音楽を奏でることの方が楽しかったです。戸惑いを感じることもなく、生きていく過程で自然とそうなっていった……という感じです。自分が楽に、楽しくできることが、一番ですよね」
──自然とその道に導かれていったんですね。
「というか、この道しかない、という感じですね。子供の頃から、ずっと続けていたことですものね。だから逆に、後奏が長いと『お願い、歌って!』って思っちゃいますね(笑)」
──《神々の黄昏》の最後とかでしょうか。
「あそこはもう、ね……!!(笑)」
──聴いている立場では、様々なモティーフが重なり合って、ヴァルハラが燃え、また原初に戻る模様に、胸がとても熱くなります。最高に贅沢な時間です。
伝えていきたいこと
──最後に木下さんが、後進の方々や、コレペティトールを志す方々にお伝えしたいことをお伺いしてもよろしいでしょうか。
「コレペティトールを目指される若手の皆さんは、ピアニストとしては既に高い技術をお持ちだと思うんです。その中で次の段階に進みたいと願うなら、やはりオーケストラのイメージを常に持つことでしょうか。ピアノ曲だけ弾いたり、聴いたりしていても、イメージは持ちづらいかもしれません。
そして、スコアを見ることです。同じ旋律を弾くのでも、オーボエなのか、ホルンなのかで、どのように弾くかが全く変わってきますものね。どれだけ、オーケストラの響きに近づけていきたいかというイメージを持つこと、これがすべてのモチベーションの源ですね。
あとは、歌い手と指揮者に対して、常にアンテナを張り巡らせること。寄り添ったり、リードしたりするだけではなく、こうしたいんだろうな……というアイディアを察することも、非常に重要です。見たままに全てを受け取るのではなく、感じ取ること。そのセンサーを、いかに働かせるかが、とても重要です。
オーケストラと合わせることの多い歌い手の方は、ピアノと合わせていても、オーケストラっぽい感覚で呼吸を合わせられますね。劇場でも、バイロイトで歌ってきたような方々は、呼吸やタイミングの重さが全然違いました。普段、どれだけ重たいオーケストラと合わせているんだろう、と恐ろしくなるぐらい(笑)
私たちの役目は、ピアノでの音楽稽古・立ち稽古から、オーケストラとの稽古に、スムーズに受け渡しできるようにすること。だから私の場合は、常日頃からオーケストラの響きを感じて、空気を含ませた音楽作りを心がけています。
オペラはやはり、劇場で生まれるもの。そして、あらゆるところに勉強の機会はあります。センサーを張り巡らせて、ありとあらゆることを吸収していっていただけたらいいな、と願います」
──ありがとうございました。
コレペティトール・木下志寿子さんのご活動は、公式Webサイトからご覧になっていただけます。
木下さんの、ますますのご活躍を心よりお祈りしております!
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